不登校の子が学校に行ってくれたら幸せなのに

「子どもが学校に行ってくれさえしたら、私は幸せなのに」

「子どもが部屋から出て、何か好きなことしてくれたら
 それだけで幸せなのに」

そんな風に思ったことはありませんか??

一見、そりゃそうよね、と思うことかも知れませんが・・・

これ、子どもからしてみたら、すごく酷なこと。

何故なら、自分の行動一つで親の幸不幸が
決まってしまうということです。

子どもは基本的にお母さんが大好きです。
ただでさえ、不登校、ひきこもりというだけで
親に迷惑をかけている、と罪悪感を持っています。

その気持ちに追い打ちをかけるような言葉ですよね。
そうできればいいけど、できないから困っているのに……

そしてね、この言葉の意味を考えてみると……

お母さん、それ、他人軸ですよ!!

と、突っ込みを入れたくなります( ;∀;)
子どもの行動に自分の幸せの行き先を預けている状態。

そりゃあ子どもにとってみたら重いです。

子どもが学校に行っていようがいまいが、
母親の幸せを左右することがあってはならないのです。

もちろん、子どもが困っていて助けを求めているのなら
親として寄り添い、でき得る助けをしたいものです。

でも、子どもが悩んだり葛藤したりするのは
子どもが成長している証ですから、

それを憂いては、子どもは親の顔色を見る癖は
なくならず、自分の人生を生きられません。

こうして共依存になっていくのです。

親が子どもと自分の人生を切り離して
自分の人生を考え始めると

子どもの人生も尊重できるようになります。
子どもの選択を信じられるようになります。

3年後、あなたはどうありたいですか??

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!